アドラー心理学「課題の分離」が子育てに生かせるか考える
課題の分離を子育てで生かせるか
今までツラツラ書いていた悩み、そしてこれからも子育てで抱えていくであろう悩みが一瞬で解消される方法と出会いました。ちょっとびっくりして、その思考方法を聞いていたら笑ってしまったくらい。
「課題の分離」とは
アドラーの心理学である「課題の分離」。簡単に言うとこういうこと。
「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」
私は子育ての悩みを抱えているので、子育てで例えるなら「子供を導き与えることはできるが、それを選択するかは子供次第」。自分の課題と子供の課題を分離することで、余計なことに悩まずに済むのだ。
ふむふむ。
私が娘に今の環境を与え、そして娘に何が必要か見極めてフォローしているが、それを娘がどう調理するかで私が悩む必要がないのか。
同時に自己満万歳らしい。(言い方悪く言うと)
私が夫に向けている考えこそ、これだよなと思いました。夫では成立していた。
男女関係で依存することはとても辛く負担がかかり、また幸せなことではないので、私はこれが快適なんです。
でも、子育てで「課題の分離」をすることってとても難しいんじゃないか。
もともと心理学としての定義ではこういうこと。
「課題の分離」というのは、相手があなたをどう思うのか、どう評価するのか、どう感じるのかといったことは、相手が判断することであり、あなたの課題ではなく介入することはできない
私の課題が「娘に教育の機会を与える」で、娘の課題が「環境に順応する(言葉の習得を含め)」と言うこと?「娘が順応しない場合の試行錯誤」は自分の課題化になり、娘の課題に首を突っ込んでいるということになるのか?
幼児の子供に対してはどのようにしていけば良いのか。
良かれと思ってにならぬか
私の大嫌いな言葉「良かれと思って」にならないかな?私「良かれと思って」って言葉が大嫌いなんですよ。何故かって?結局「良かれ」と思ったわりには相手が欲していたこととは真逆だったということですよね。
相手のことを全く知らないのにやって、はたまた最後まで人のせいにする発言だと思う。
大体、この発言をする人との関係て希薄だったりするし。
▶︎わかりやすく書いてありました
放任主義・利己主義とは異なる
大丈夫、これは「放任主義」と「利己主義」とは異なることだそうだ。
課題を見分ける方法
「その選択をすることでもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰なのか?」
放任主義とは、あなたが関係している他者が何をしているのか知らない、知ろうともしないことです。
幼児の子育てでは難しい思考である
子供がもう少し大きくなったら実践できることではあるが、与えられた環境をどう過ごすかは娘の課題と伝え、本人が困った時ややる気を出した時はいつでも援助をする用意をすることが大事と。
確かに、どう行動するかまではこちらが介入できない。
子供達の将来の選択は、子供に委ねているとは以前から言っているが、今現在進行系の育児の中でこれを実践することは大変難しいことでもあり、有効なことだとも思った。
「躾」の完了していない幼児に対して課題の分離を実践するのは難しいことであり、まだ先のことかもしれない。
しかし、躾と違う場面での、ある環境での娘の行動や感情までは私のコントロール下にないと言うことは肝に命じなければいけない。(分離)
▶︎介入と援助の違いについてわかりやすい解説があります。
勇気付ける方法
褒めずに「感謝」と「喜び」で勇気づけをすると言うことが大変興味深かった。
「課題の分離」は子育て以外で仕事等にも、生きていく上で有効な心理であるとはわかった。たまに勉強し直して、自分の思考にしていきたいとは思う。
子育てで今すぐに実践できる「課題の分離」をもっと掘り下げて研究していこう。
心理学者、哲学者の言っていた事は、たまに狂気に満ちていたり偏り過ぎ、思い込みが激しかったりするのだが、俯瞰的に見ていいとこ取りをして自分の生活にも生かして生きたいと思う。