香港でマルチリンガル育児→改め完全帰国Life

海外経験から完全帰国した3児母マリーの日記


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アドラー心理学の「課題の分離」で育児をこじらせるのではと思う理由

先日、これは素晴らしい考え方だ!と思ったアドラー心理学の「課題の分離」。子育てに生かしていけないか、と考えていました。有効であることはわかっても、幼児の子育てでは難しそうだ、というところで終わっていました。

monmishe.hatenablog.com

拗らせる可能性があるという考えが浮かんできた

私の母が「課題の分離」が上手にできていたことに気付きました。幼児期から中学生くらいまでは比較的厳しく育てられたことを覚えています。厳しいといっても、どの部分において厳しくされたかというと、危険なことをしないようにとか、ゲームや漫画がダメ、マクドナルドもダメという感じ。成績は、通知表は見せないまま提出したこともあるくらい、勉強をしろとは言われませんでした。そういうところは厳しくありませんでした。

高校生辺りからは、兄も私も自分の選択を尊重されていたような気がします。父を早くに亡くし母子家庭で育った母は「教育費にはいくらかけてもいい」とバリバリ働き、私たちが塾へ行きたいといえば行かしてくれ、留学がしたいといえばすぐに用意してくれる感じでした。ここに関しては、母が母の生い立ちに関わるもので、母の自己満といっていいと思います。母は、だからといって私たち兄妹に何者かになれと強いたこともなければ、あんなに投資をしたという言葉を聞いたこともないので、何も押し付けられたと感じたことはありません。

何が拗らせかというのか

私の兄は、現在は中高の英語教師ですが、紆余曲折ありこうなっています。ちなみに鬱病や双極性障害が寛解している状態です。以前も書いたことがありますが母曰く兄は「ギフテッド」によく当てはまるそうです。30年前は支援も整っていなかったから、兄は生きづらいまま成長し、二次障害という鬱病や人格障害になったのだと思います。今の時代に生まれていたら、もう少し違ったかも。

そんな背景のある兄は母がいわゆる「課題の分離」をして接してきたことを「愛情がない」と認識してきていました。同じ母に育てられた私にとって、母は温かくて愛情深いです。だからそんなことはないのですが、兄はいつからか拗らせていたんですね。

祖母からの愛は真逆の形

祖母にとって男の子の孫は可愛くて仕方がなかったようで、完璧に私より兄は可愛がられました。祖母は母と全く異なり、束縛が強く自分の中に取り込むタイプでした。愛をそのように表現していました。おばあちゃん子の兄は「依存こそが愛なんだ」と信じるようになっていったわけです。私はそれは屈折していると思っていますが「愛するからこそ、その人の幸せを願うなんて綺麗事だ」「愛しすぎて気がおかしくなるのが愛だ」という価値観なんです。

従って、母のように相手を尊重して選択を委ねる「課題を分離」ができるなんて愛してないからだ、という結論になります。

めんどくさっ

子供にはこういうタイプもいる

このようなタイプを子供にもった場合「課題の分離」が上手く生きないと思いました。

「兄が拗らせタイプ」といっている私も、実は母の完全なる「課題の分離」を寂しく思ったり、突き放された感覚になることがありました。

私の大学時代の恋愛のことです。今思えばあまり一緒にいても良くない恋人で、私は別れたいのに別れられないことで悩んでいました。相手が別れてくれない、というだけでなく、未熟だった自分の情や未来の怖さに長い間恋愛で苦しんだ時期があります。叔母を交えて相談した時に、母の姉である叔母が母に言いました。

「あんた、なんでこんなに娘が傷ついて悩んでいるのに、別れさせないのよ!?私の娘だったら、◯ちゃんもうやめなさい!と無理矢理でも別れさせて抱き締めるわ。」と泣きながら言いました。驚いた私も泣いてしまい、

「お母さんがそうしてくれたら、私も楽になれるのに。」(なんでそこまでしてくれないで見守ってるの)

と言いました。

母は困り顔。母の意見としては、お母さんも傷ついているし、傷つくところを見たくない、だけどどんなにお母さんがものを申しても結局決めるのは自分自身でしょ、というスタンスなんですね。

母は母としての意見を述べつつ強制はしないで、あとは選択を見守るということ。

「課題の分離」ですよね。

私たちが兄妹が、特別甘ちゃんだったとしても、少なからずそういう人間はいるわけで、そういった子供に対して親が「課題の分離」をしてきたらこうなる可能性もあるのではないでしょうか。

感謝していることの方が多いけどね

きっと、母はこうした方がいい、ああした方がいいと思うことはたくさんあったと思います。だけど、いつでも私が探してきたものを応援し、選択を尊重してくれました。

男の子しかいない親に母が「うちは男だからいいけど、女の子なんて海外にやれない!地方の大学にもやれない!」と驚かれたことを話したことがありました。母は「人間死ぬ時は、どこにいても死ぬ」と9.11テロの一週間後に、予定を変更して他の地域で一泊しなければいけない状況の時も、明るく送り出してくれました。

得体の知れない中国の土地で働くときも、涙を見せず空港まで見送ってくれました。そんな母の強さに有り難いとは思います。「お母さんは子供を束縛しない」という言葉に母の偉大さを感じます。

もっと私を見てー。もっと道を示してよ!と思うこともありましたが。

ケセラセラ精神

母はアドラー心理学は知りません。では、何故こういう考えなのかというと「ケセラセラ」 精神だからです。幼少期に苦労したから、強いのだそうです。

ただ、私は個人的にケセラセラ精神は賛同できません。何でもケセラセラ、なんくるないさーって思ってても何か面白くない!もっと熱く生きようよ!みたいな。

自分で難しいこと、動かせない石も動かしていこうぜ!みたいな笑 

結局誰のための心理?

「課題の分離」を子育ててやる場合、それは自分たち親の為にはなるけど、果たして子供の為になるのかな?

子供と上手く付き合いたい、我々の子供自身がその子らしく生きていけるようになるための親の姿勢、アプローチで私は生かしたいのだけど。

また「課題」ができたよ。