何事にも一生懸命に。そして立ち上がれ
子どもに求めるものは「心の強さ」のみと言っている私ですが、その理由は私が弱いから。
怖がりだけど、刺激を好み求めていまに至る。
気付いた時にはいつも「え!私何に足を踏み入れちゃってるの??」状態で後戻りができなくなっている。
それでも夢を追いかけたくて、行動して挑戦して行動して行動して行動しているけれど、何も実らないことも多い。
自分に暗示をかけるように、慰めるように「いまは種まき」「いまは芽が出た」とか言っているのだけど、結局はまだ自分の目標には程遠くてそんなことを言っている。
確かな慰めだ。
私が選択をする基準はいつも
"死ぬ前に数年穏やかな時間があったとして、その時に26歳のあの時にあそこに挑戦していたら・・・、34歳の私は、なぜ守りに入ったのだろう?なぜ安全を選んだのだろう?"
と思いたくないこと。
だから、いつも選択する時は
「ご臨終前の自分がどう思うか」が指標。
失敗や不安はそこで消えてしまうのだ。
死ぬ前に
「私って無謀だったよね〜。でも死ぬことより"お終い"はないわ。結局なんともならなかったけど、あの時あの選択をして面白い人生だった。」
と思いたい。
体制とか格好とかは気にならなくなる。
生きるって、カッコ悪いことなんだと思う。
思い出した時に、あんなこと〜こんなこと〜あったけど、面白かったよね〜
って思い出だけで楽しみたいのだ。
誰も相手にしてくれなかった時でも、楽しいじゃない。
私は達観しててたり、悟りを開いているような人間には魅力を感じない。
すごいなとは思うけど、
もがいて、苦しんで、でも隙間に光を見出すような一生懸命な人間が大好きだ。
生きることに、器用さは必要ないのだ。
何時でも一生懸命にぶつかり、ダメで落ちても這い上がる。
そう、這い上がる力が大事なだけ。
安全を見て、リスクマネジメントなんてしないで。
これだと思ったことには100%しかないよ。
伝わるから。
それでもダメだったら、そりゃ落ち込むよ。
落ち込んで当然なんだから。
自然なこと。
美しいこと。
それでも立ち上がる。
前を向く。
そうしたら、またもっといいことに出会える。