香港でマルチリンガル育児

「日本語が綺麗な」マルチリンガルを育てるブログ


生まれも育ちも日本の香港マニアが二児の母になり、
ヒーヒー言いながら子育てをしているブログ。
表向き「マルチリンガル 」を育てていますが、
テキトーな性格でなんとか生きています。

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現代のよくわからない「フェミニズム」への違和感の正体が判明

現代の「フェミニズム」への違和感

え、それ何の主張?

結婚して、そして母親になってからより耳に入ってくるのが「なんだかよくわからないフェミニズム」。私は「女性自身」だし「母親」だが、女性の権利を振りかざすほど性別で損をした覚えはない。むしろ女性は得だと思っている部類。

最近の女性の権利、特に「母親である女性」の主張の仕方が、少々で意味がわからない。都合の良い時は小さな世界で男性と同等で争おうとするが、都合の悪い時は女を最大級に使ってしまう、そんな現代の「フェミニズム」に違和感を覚える。

フェミニズム 違和感

和製フェミニズム 

違和感の招待こそが「和製フェミニズム」

「フェミニズム」自体が外国産だから、日本には当てはめられない事なのか。「和製フェミニズム」の主体は「男性を敵視」することで女性の権利を主張することが散見されるからおかしなことになっていたのか。文化背景から、そもそも日本で主張することは無理なのでは。認知の歪みのはけ口に使われる「フェミニズム」は実に格好悪いものではないか。

私たちはそもそもそういった「和製フェミニズム」しか知らないから、それが暴走しているのだろう。

中には「家庭を持ち子を産む女性を敵視」するフェミニストも存在するらしい。

バランスが崩れた日本社会

多くの女性が社会に出てから、社会、そして一番に家庭の均衡が保たれなくなったのは事実。女性は、もともと外でバリバリ働くようには作られていないのだから。動物的に。

女性が狩に出るように進化したのなら、同時にそれに耐え抜く身体に進化するはずだがそれはまだ遂げていない。なんなら男性も子供を産める身体に進化しなければいけないくらい、女性の生き方は進化している。

日本では、昭和の暮らしが一番性別的な理にかなっている暮らしだったと思う。女性の仕事、男性の仕事、女性の役割、男性の役割などがそれぞれ明確に別れていたのは、文化である。女性が虐げられていた歴史ではない。悲しい過去でもない。そのようにしてバランスが取れていただけである。そしてそれは元々生まれ持った動物的本能の理にかなったものだった。

何が問題か

現在このような時代になったことを悲観しているわけでもない。それはそれで社会が変わっただけのこと。ただそれに対応できるだけに、日本社会も文化も追いついていない。フェミニズムを掲げて間違った方向に矛先を向けていることを悲観している。

矛盾

「古い考え」という簡単なことではない。歴史は私たち日本人の文化、習慣、道徳観念、全てに根付いたもので簡単に変えられはしない。むしろ「常識化」しているのだから、フェミニズムを主張している人たちにも例外なく根付く価値観でもある。根っこの部分が日本人であるかぎり、フェミニストを気取ったところでトンチンカンで中途半端になるんだ。

歴史的背景から、論じることさえ無理 

イクメン

いわゆる「イクメン」も、必然的に日本文化が作り上げた時代の変化だ。昔は大家族で女たちが家事育児を担っていた。多くの家庭が、妻とその母親か義母の二人の女性が一家を回すことになる。旦那はどうなるかというと、夫ではいれなくなるに決まっているのだ。妻の母に世話をされるか、はたまた自分の母の「息子」として生活をするようになる。この息子化がまた妻にとっては厄介なことだ。そんな環境で、現代のような父親像が当てはまるわけがない。その時代は、違った形で旦那というものは威厳を保っていたのだろう。だから、そもそも昔の「親父」と、「オムツを変え皿を洗う旦那」を比較することに無理があるのである。核家族が多くなり、日本の経済では男一人の稼ぎでは十分に妻子を養えず、女性が働き「役割」の差が一人突っ走って進化をした結果がこれだ。

イクメンは別に賞賛される対象でもない。

家事ができる男に

「家事は女性の仕事」であり「外でお金を稼いでくるのは男の仕事」だった日本。今は両方バランスを取り分担ができることが理想と思っているわけなのだよね。女性が同じだけ稼いでいるのに、男の人は仕事を休めない、家事は女性が主に担い不公平だという声が上がっている。

そもそも日本社会はまだそうなっていない。 

屈折した性の価値観

LGBTの存在は日本でも当たり前の価値観となっている。ただ、日本社会で生きやすいかどうかは私は調査したことがないが、話題にするまでもなく認識されていることだと思う。

そんな中、最近気になるやりとり。

  1. LGBTを強く意識し過ぎている
  2. 受け入れることに意義を見出している

私が気になるのは、特に私たち30代の子持ち女性が意識し過ぎておかしな方向に進んでいること。

  1. 将来性別が変わるかもしれないと意識し過ぎ
  2. 子供(幼児)が男の子らしく女の子らしくしていることに危機感
  3. 子供が生まれたら性別は本人が決めると主張

10年後にどの性別、性意識になるかわからないからと言って、誕生して性別を意識する行事を嫌厭するといった事。子供、しかも3、4歳児が「女の子は赤、男の子は青」と発したことに「危機感」を覚え「どっちがどっちの色でも良いでしょ?ママはそう言う考えは嫌だな」と否定したりすることもあるらしい。

子供が生まれて、性別を聞いた時に「この子の性別はこの子が決めるものだからまだわからない」と返答した親もいたらしい。

2、3歳で性を意識することは自然

2、3歳前後で既に性差が現れることを、子育てをしてはじめて知った。誰も教えてなくても、何を強要していなくても女の子はプリンセスが好きな子が多くて、男の子は戦隊モノや乗り物が好きな子が多い。これは「本能的」なことでLGBTは「少数」であることをむしろ無視した行為だと思う。

LGBTの存在が、社会で当たり前として認知をされることは、生物学的な性の価値観で生まれた子達否定したり排除することではない。屈折した感覚で接することではないと強く思う。少し変な方向に走り過ぎていないか?と。

「普通」という言葉を使っても、悪い場面ではない。私は「普通ってなに?普通ってわからない」と言う議論も同じく中身のない話題だと思っている。

「普通」は社会の中での圧倒的多数を占めた方である。それが普通と言うもの。だから「普通の性別で生まれた」と言う表現もこれは否定するべきではない。

フェミニズムが、男性を否定することで議論を進める日本が、またもやLGBTも普通の性を持って生まれた人を否定することで成り立っていくことに違和感を感じている。

子供の性で議論する母親たち

生まれる子の性別の人気不人気も、また最近よく話題にされる。昔は男の子を産んで一人前と言われるところ、今は女の子の方が人気らしい。そして、自分の子の性別ではない方の性別をディスったりする現象。これもかなり議論がされるし、人によって価値観が全く異なる。だから、人の意見を聞くのってとても興味深いのだけど。

性は平等であると言う「フェミニズム」を主張している人ほど「女の子は生意気」「男の子なのに大人しい」など、性別で現れる特徴を当てはめて何かを発言したり、LGBTに寛容な態度をあえて示したりする。

それが、私が違和感を感じる「仕事や家事に関して夫婦の平等を主張している人」が「性をディスる」現象。

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