海外在住の「ストレス」は実は「環境」が原因でないことが多い
海外だからという理由で視野が狭くなる
慣れない土地、もしくは合わない土地に住むストレスって、日本だろうが海外だろうが変わらないと思う。「海外在住」という明確な理由があるから、わかりやすくそのせいにしてしまうと思う。でも、その観念に縛られてしまうと、もう何でもかんでも国のせいにして美しいものも全く見えなくなってしまうのが怖い。環境に合わないからといって、簡単に移動できればいいのだけれど、そんな身軽な人は少ない。少し他の人を見てみたりすると、案外こういうことも起きているのか、と思えることがある。
日本でも病むときは病む
私は関東で生まれ育った。大学で九州に行き、初めての一人暮らしをした時に病みに病んだ。もう海と山が窮屈で窮屈で「私を閉じ込めるなー!」とさえ思った。上空を飛ぶ飛行機を見て「私を関東へ連れて帰って〜!」とよく空を見上げたものだ。笑
生まれ育った場所は、それだけ肌に合う
逆に九州生まれの母は、東京で山がなくて落ち着かなかったらしい。
沖縄生まれの父も、海がある場所に行くと、見つめながら心底ホットしている。
うん。
沖縄生まれの父と九州生まれの母、二人は東京で出会ったのだけど、もう60過ぎて関東の方が長い。なのに、いまだに「沖縄の人」「九州の人」として生きている。周りもそういう扱いだし、本人たちの自覚もそう。
それだけ出身地、幼少期に過ごした場所って人に影響するんだな。
九州生まれの母に生まれ、祖母も同居していたので、我が家は九州の文化が濃い家だっただろう。二人とも「標準語を使う」と徹底してくれたおかげで、家で方言を使うことはなかったけど、九州にたくさん親戚がいたので、しょっちゅう九州弁で話すのを聞いてきた。何度も遊びに行った。
つまり、方言がわかる、土地の人の気質もわかる、何度も訪れている、
そんな場所でも病みに病んだのだ。
自分には九州が合わなかったということです。海も山も心から好きになることはできなかった。
「旅行で十分」だった。
「住むのは無理」だった。
日本でそんななるんだから、海外なんてどうなるんだとトラウマになった。
結婚するまで、2度と実家を離れるもんかと頑なになり、転勤で神奈川県になった時も、片道2時間を通った。
病んでしまったせいで、不安を抱えることも多くなり、愛犬と高齢の祖母と離れることがとても嫌になった。
なるべく家にいて、二人と過ごした。
兄が大学を中退していたので、死んでも卒業する気持ちで大学は卒業したので、就職して関東に戻ってからは、そうやって過ごした。
だから、高齢の祖母と老犬になった愛犬を残して日本を離れることは、この人たちを看取れないかもしれないと覚悟が必要だった。
渡航前に私のベットでリラックスする愛犬を見ると、涙が出た。そして、考えるのをやめた。
半ば心をシャットアウトして、感情をシャットアウトしてここに来たようなものだ。
それから本当に色々あったのだが、渡航後に愛犬は癌を患い、私は帰国して愛犬をちゃんと看取った。
祖母はまだ健在だ。
日本でそうなるのだから、家族と離れること、住み慣れた土地を離れると何が起こるのかわかっていた。
だから、中国に行ったばかりの頃は、歯を食いしばって涙をボロボロ流して耐えていた。
こうなるってわかっていただろう、誰にも頼れないんだぞ。自分と向き合え!明日は明るい!と
でも逆に、その経験があるから海外移住あるある?の"日本神話"にとりつかれることはなかった。
「日本なら」と不満を国のせいにしてしまう。環境のせいにしてしまう。
海外在住も8年くらい経つとそれはほぼ無い。
日本だからサービスがいいとか別に感じもしない。日本なら快適に暮らせるとも思わない。
ただ、中国ではよく思っていたけどね。
「香港なら」と。
ここまで来て思うのは、環境が変わっても、自分は中々変わらない。
その代わり、環境が変わらなくても、自分が変わることはできる。
環境に任せて自分を変えようとしても、それは期待できない。
だけど、自分が変わる努力をすれば、環境はほぼ問題にならないことはある。
現実逃避は一番意味のないことだと思う。
自分探しも。自分なんて見つかるはずがない。
両方とも腐る程やったからわかる。
現実を夢のようにすれば、なんでもない自分と向き合って色々作り出せば、
もっと毎日は楽しくなると思う。
マリー