香港でマルチリンガル育児

「日本語が綺麗な」マルチリンガルを育てるブログ


生まれも育ちも日本の香港マニアが二児の母になり、
ヒーヒー言いながら子育てをしているブログ。
表向き「マルチリンガル 」を育てていますが、
テキトーな性格でなんとか生きています。

白花油
紫花油
福仔
均隆
心を落ち着かせる曲 香港 病院
24時間 香港 病院 救急外来
子宮頸がん検診 香港 病院
香港 病院比較 公立 私立 クリニック

 【時代は確実に変化している】社会学者「古市憲寿」さんの学歴・仕事についてのインタビュー記事を見て

社会学とは社会問題を科学的に客観的に見ること 

これは私の母校である立命館アジア太平洋大学の社会学の教授がいつも言っていたこと。社会学の面白さに取り憑かれて、自分が今まで感じていた「生きにくさ」や「考えすぎる」ことが肯定され、快感を覚えました。

「思慮深くあれ」とも常に学生に言っていました。

 社会学者古市憲寿さん

社会学、社会問題の考察で重要なのは「自分の意見を持つこと」ではなく「いかに客観視するか」という俯瞰的に見る視点です。

今回はこの記事を拝読しました。

 journal.rikunabi.com

これは「就職ジャーナル」でのインタビュー記事なので、仕事についての記事です。 

学歴・専門性の社会での重要性

時代は物凄い変わってきていると、最近強く実感しています。私がそれに最近気づいただけなのか・・・。徐々に変わりつつはあったのだろうけども。ただ、数年間言われていたことが、急速に変化として「現れてきた」のは事実だと思います。めちゃくちゃアンテナを張っていなくても、目にする機会が増えたのはきっとそういうことなのでしょう。

特に、今回の新型コロナウィルス騒ぎで、急ピッチに変化に対応しなければいけなくはなったはず。もともと変化すべきだったことが、グッと縮まったようには思います。

自分自身が何者か知っていないと生き残れない

出る杭となったフツーの人が増えた

これ思いませんか?今まではホリエモンや西野さんのような強烈なカリスマ性と才能、頭脳を持った人でないと「何者」かになれなかった気がします。それが、フツーの人が個性を出してきている。

ずば抜けた個性があるわけでもない人が、徹底した自己分析と理にかなった表現方法で支持者を集めに来ている。

今までこういうの、日本人は苦手だったんじゃないか!

すごくないですか?面白い時代ですよね。

人それぞれ、経験や体験、感じ方が違います。それを日本は「みんな一緒」に肩を揃えるがよしとされて来ました。「協調性」が賛美され「独特」な人を排除する文化がありました。良い面も悪い面もあります。

「出る杭は打たれる」から「爪を隠そう」と生きる人たち。窮屈になっていく。でも表現方法がわからなかった。

今はもう確実に違う

実に興味深い。

一方で、日本社会はまだ学歴や社歴は確かに人を信用したりレベルを推し量るものではあるんです。

社会の中で、学歴や社歴は今も重要なシグナルとして機能しているのです。 

 またこれ日本の嫌なところですが、あれこれ手を出す人を「器用貧乏」と蔑んだりするんですよね。私も色々なことに興味を持っている質なので、この言葉嫌いです。古市さんもこう言っている。 

専門性というのはあった方がいいです。誰かに聞かれたときに「コレをしています」と言えるものがないと、何をしている人なのかわからなくなってしまうから。ただし、ひとつの専門性だけにしがみついてしまうと、時代に取り残される危険性も高くなります。だから、専門性というのは1個より2個、2個よりも3個あった方がいいと考えています。 

ですよね。とてもわかる。 

専門家コンプレックスってある

何かの専門家になりたい」と思うことがよくあります。そのための資格なのか、誇れるだけ継続した経験なのか、自分が何者かって明確なものが欲しいなと。

翻訳家なのか、通訳なのか、デザイナーなのか、ライターなのか、どれもこれも仕事としてやっているけれど、一個に絞るなんてできない。「専門家」になれていないコンプレックス。

どれも突き詰めたい。

あれこれ手を出すことは日本ではあまり良しとされていないと思うのだけど、上記の古市さんの言うことを見て、それもそうだよな、と納得。

それに、30代で専門家を名乗るのもね。

これから自分のやりたいことを全てやっていた上で、4、50代何らかの専門家になれていたら良いなと思います。私はそれをイメージしてアンテナ張っていこうと思います。

世の中で起きているさまざまなことを整理し、「整理したら、こう見えるんだよ」ということを文章や言葉で示すのが僕の得意なこと。混沌(こんとん)とした事象を整理すれば、社会のあり方について「今ここにある社会は絶対ではなくて、違う選択肢もある」という新しい可能性が見えてきます。その具体的な選択肢を見せるまでが社会学者としての僕の仕事。

どんな社会がいいとか、どんな生き方がいいといったことはみんながそれぞれ考えることで、僕が提示すべきことではないと考えています。

特にファンというわけではなくて、たまたまこの記事を読んだだけですが、大いに納得しました。そして社会学の楽しさも改めて思った次第です。

 

マリー