香港でマルチリンガル育児

「日本語が綺麗な」マルチリンガルを育てるブログ


生まれも育ちも日本の香港マニアが二児の母になり、
ヒーヒー言いながら子育てをしているブログ。
表向き「マルチリンガル 」を育てていますが、
テキトーな性格でなんとか生きています。

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色々思うことがある

私の意見は、ほとんどが賛同してくれないということは自覚している。現在の香港の情勢はまさに混沌としたカオス状態であり、政府の方針も警察の出方も、活動家の行動も、市民の反応も日々変化している。

今日の想いは、明日の想いではないことを身を以て体験している。

活動に参戦するものも同じ方向を見ていない。市民も、同じ感情を持っていない。だから、私もその一つの外人としての「今日の意見」だと、あまり感情移入せずに聞いて欲しい。

 

 

比較的ずっと冷静に見て来た香港のこの頃。

私はずっと「香港が好き」という気持ちだけを大事にして、香港の変化を見守って来た。

何が正解かもわからない中、唯一私の中で正解なのは「死ぬ時が香港でも構わない」ということだけ。

 

母親である私が、こういう発言をすると、少し驚かれるかもしれない。引かれるかもしれない。

ただそれは、最前線へ突入したり、子供を危険目に合わせてまで香港にこだわっているということとは違う。

私が癌を患った時に「死ぬならば、何をしたいか」と自分に問うた時に「香港に行きたい」ということしか思い浮かばなかったのある。

病室で苦しんだり、余命に制限があるとしたら、見たい景色は香港であった。吸いたい空気は香港であった。

死生観が変わっている私が考えることなので、あまり気にしないで欲しい。

 

もう一つ。

娘をローカルスクールに入れているだけあって、私は地域に密着した子育てをしている。ここがこんなだからと、じゃあどこかへ逃げるような場所は彼らにはないのだ。

私には日本がある。いつでも帰ることができる。

でも「危険だから、帰ります」と彼らに言えるはずがない。

これからも、仕方なく住むか、もしくは希望を持って住むか、そんな人たちに大きな声で散々この地を悲観して去ることなんてできない。

 

香港は、私の第二の故郷と思っている。もう、心の拠り所なのだ。

簡単に、帰ることが全てを解決することではない。

仕事や住処、学校以外にもある。

 

日本では、少ない情報で頓珍漢な報道や、意見をいう人が多い。

「あんな平和な香港で」とか

「早く収束しますように」とか

「危険な場面を子供に見せたくない」とか

私からすると、ははん?という感じである。

 

娘は、実際に信号を壊す黒服の横を通ったことがある。日曜日の夕方、おもちゃ屋さんに行っていたら、活動が始まっていて、そこを通らなければ行けなかったからだ。

娘は「あー!あー!ダメだよねー!」と彼らに大声で言っていた。

 

FBでも、子供の心を心配する投稿が目立つ。

敏感な子は、怯えたり、夜泣きをしてしまったりするらしい。

 

息子は全く何もわからない月齢だが、娘は話せばなんでも理解ができる4歳だ。

「悪い人たちだよ」と話している。

特段怯えたりすることはない。

先日のその目の当たりにした直後も「Let it go〜♪」と歌いながら帰っていた。

 

家では、安心させ、楽しいことだけを心がけている。

昨日の投稿の時は私自身がパニックになってしまい反省した。

昨日は流石に娘は「今日は大変だったね〜」と夜に言っていた。

でも「今日はレンコンを食べたから、レンコンの夢を見るよ〜」と言っていた。

蝶々の夢を見たりもするらしい。

 

私たち夫婦が共通して意識している「家と親は安全な場所。」を心がけるようにしている。

でも、こればっかりはやはり性格もあるのかもしれない。

 

子育ての中で、悲観しないことのもう一つの理由は、祖母が過酷な戦争を経験したことを知っているからだ。

私が生きてきた時代は、失われた30年。まさに日本に活気のない日々だった。

安全で平和で刺激は少なく、平和ボケして心を病む人が多かったように思う。

絶望もなければ、希望もない感じ。

 

シンプルに「暴力や暴動を見せないこと」から逃げることだけで全てが収まるのだろうか。この混沌とした状況にいたら「子供によくない」なら、戦争を体験したおじいちゃんおばあちゃんたちは、みんなよくない人間になったのだろうか。

 

祖母の、畑で遊んだ時に飛行機が見えたら田んぼに伏せたことや、"無意味だった"校庭で女子が槍をつく練習とか、列車の運転手をしていたいとこが、列車を止めて乗客を山へ避難させたあと、自分は車輪の下に隠れたら、急降下したアメリカ軍の戦闘機から銃撃され、顔がズタズタになったのをみんなで泣きわめきなが見たこととか、満州へ行って、引き上げる時に目の前で3歳の母親が「ごめんね」と足かせになる娘を川へ投げたこととか、朝鮮人を働き手として家に住まわせていて、祖母の弟が悪いことをしたのに、代わりに父親にお尻を叩かれて、泣いていたことを今でも思い出して泣くこととか、まだまだまだまだあるこんな悲しい時代を生き抜いた祖母の強さは、なんなのか。

 

それとはまた状況が異なるわけだし、これからもどうなるかわからないけど、香港人家族はまだここで生きていかなければいけないのだ。

今、ここで生きた子達が、全ておかしくなるとは思えない。

 

平和の大切さを、自由の素晴らしさを、身を以て知るのではないだろうか。

少なくとも、娘や娘のお友達の将来を私は悲観したりはしない。

 

色々な意見があるのは当然だ。

だって、まじでカオスだもの。

ただ、ここで生きる子達を、人たちを、ただ悲観したところで何も起きない。

 

あるお母さんが私に言ってくれた。

「日本にいる私たちには、何ができますか?」

 

なんて素晴らしい前向きな考えだろう。

 

心配されたり気にかけてくれるのも十分嬉しいのだが、言われたことのなかった言葉に、すごく嬉しかった。

 

そういう発想ができる人になりたいと、私も思った。

 

今、

 

ただ私は、子供の無邪気な心を守る。

そして、いつか自由や平和を愛す人間になってくれればいいと思う。

 

色々な考えがあって当然。

 

私はこんな感じで、強く子供たちを守りながら、まだ香港を見捨てたりはしない。

 

 

マリー