香港でマルチリンガル育児

「日本語が綺麗な」マルチリンガルを育てるブログ


生まれも育ちも日本の香港マニアが二児の母になり、
ヒーヒー言いながら子育てをしているブログ。
表向き「マルチリンガル 」を育てていますが、
テキトーな性格でなんとか生きています。

白花油
紫花油
福仔
均隆
心を落ち着かせる曲 香港 病院
24時間 香港 病院 救急外来
子宮頸がん検診 香港 病院
香港 病院比較 公立 私立 クリニック

私と夫との馴れ初めはこんな感じでした

自分でも、ちょっと過去を思い出したりして、私たち夫婦が結婚した経緯でも。

結婚すると、もう誰に話す機会もないので。笑

香港には仲良し夫婦が多いですよね?周りには愛妻家、良きママパパばかりです。海外にいる分、結束も強くなったりするのかしら?

日本と海外の遠距離からスタート

私たちは付き合いはじめから一年近く遠距離でした。だから、ずっと一緒にいられる今に至るまで、随分と色々乗り越えたなーという気分。今でもあの時のことを考えると一緒にいられることが凄いなと思います。

夫とは、一番合わなそうで一番合っている人です。

それまでの恋愛のように、一人で浸ったり空想することもなく、いつも私を現実に置いて、その中で夢を見させてくれた感じ。

結構恋愛面では潔癖な私が、唯一、楽しければいっか!一回付き合ってみたい!遊び遊ばれてもいいやと思ったのが夫です。がははは

昔好きと言ってくれた友人に(付き合わなかった人)、私が好む男性のことを「お前の感性わからねぇ」と言われたりもしたな。

いわゆる社内恋愛ってやつか

出会いは会社だったのですが、夫は中国の駐在員で私は日本本社勤務でした。仕事の電話で少し話す感じ。事務をしていたので、夫の顔はパスポートのコピーで会うより事前に見ていました。みんな「痩せればかっこいい」と言っていた。笑

私の第一印象は「名前が好き」でした。フルネームにビビっときました。私の小学生から憧れていた名字と、なんとなくずっと好きだった下の名前が夫の名前だったのです。

私は父が沖縄の人で、誰もがわかる沖縄の名字で関東では珍しかったため、よくあるような人口が多い名前に憧れていたんですね。その中でも、響きが好きな名字だったんです。小学校の頃から、夫の名字の響が好きだった。

その後、夫が出張で帰国してはじてて顔を合わすことになります。

私はその会社に入る前に「香港マニアボーイをゲットするわ!」と意気込んでいました。中国語を使う貿易会社だったので「香港が好きな日本人、私の男バージョンに会えるのでは?」と思っていました。

入社後おっさんばっかでそれは打ち砕かれたのですがね。

恋愛が一番人間を成長させる

ただ、私にはその頃7年も付き合っている彼がいました。18歳の頃から付き合っていた彼。大学入学した1ヶ月目から付き合って、4年間、ほぼずっと一緒にいて色々なことをして過ごした人。長身のジャニーズ系でかなりのモテ男くんでね、女性から物凄い寄って来られるような人でした。顔がドンピシャタイプで、その顔で謝られるとどんなことでも許してしまうような、危険な関係。苦笑 相互依存が激しくて「俺と香港どっちが大事なんだよ!」とか言ったのもその彼。顔はタイプだと言ったものの、付き合って1週間目から、7年間、ほぼ毎日のように、毎週のように「別れたい」と彼に言っていましたね〜。本気で別れたくても、もはや狼少年のようになってしまい、真に受けてくれない感じ。この恋愛で私はかなり心が鍛えられましたよ。でも、悪い方には落ちたわけではなく、良い方に生かしました。だから、夫とも今、仲良くいられるんだと思う。人間が一番成長するのは「恋愛だ」と断言できるくらい。中国に行って、死ぬほど泣いたりするチャレンジより、恋愛の方がはるかに成長できる。何故なら、一番自分の心と向き合うからね。傷ついたり、喪失感があったり、幸せにしてもらったり、愛をもらったり、恋愛が一番成長できると思いますが。いかがでしょうか。

結婚の話も出ていましたが、どうしても踏ん切りがつかないし、彼に裏切られるようなこともされたし、別れたくて悩んでいたんですね。

いわば婚活中の私

夫もその時は彼女もいたし、年上が好きだと公言していたので4つ下の私は眼中になかったと思います。 

会社では出会いはなさそうだと思い、その彼と別れたいが別れられないと悩みながらも「結婚」は28歳くらいでしたかったので、なるべく外を見るようにしていました。数人とデートしてみたけど、じゃあ7年付き合った彼からそっち、、、とも思えるような人には出会えず、悩みながらも独身を謳歌していました。

そんな中、出張で帰国が多くなる現夫とは、かなり仲良くなります。私がかなり懐いていました。お互い恋愛とかそういうのがなかったからか?かなり仲良しでした。今まであった事がない「中国語が堪能な彼」に「カッコイイー!!」「すごーい!」と凄く尊敬していました。(こっちに来たらそんな人いっぱいいたw)

出張が終わり、中国に帰ると寂しいなぁと思っていました。恐らく、お互いに「この人は無い」と無意識に思いながら、いつの間にか惹かれ合っていたのかもしれないです。チガウダロー!と思いながら。まだ気づきつつも、認めてはいなかったです。

初めてのデート?

それで、25歳の生き急いで予定を詰め込みまくっていた私に、夫から誘いがありました。

夫「土曜日空いてる?」

私「(手帳を開き)空いてますよ。都内の展示会に行った後、横浜の展示会に知り合いが出展してて会いに行くので、その後なら!」と3つ目の用事にぶちこみました。

夫は中国に精通しているし、私は高校生からしょっちゅう通った中華街を二人で歩きました。雨が降っていました。私の傘に入り込んでくる夫。

私 (何この人、太ってるのに私の傘に入る?)さすがに奇妙な行動に引きつつも、一応先輩なので我慢していました。

占いがあったので入ることに。

夫「二人の相性みてもらおうよ。」

私「え?何でですか?嫌ですよ。」

私は7年付き合った彼のことで悩んでいたので相談。(もはや記憶にない)

占い師、次に旦那を見る

「この人、いいお父さんになるわよ(二人で私を見る)」

私「は、はぁ。」

占い師「二人でこういうところ来るって言うのはね、そういうことなのよ」

私「???」

夫「ちょっと相性見てもらいたかったなぁ~」

私「なんでですか。嫌ですよ。」

そのまま出て、ご飯屋さんへ。

付き合うことはないと思っていたので、彼のことを赤裸々に話しました。顔が曇る夫。好きな人だったら、ぜーーーったいに話せないようなことを話しました。それくらいこの人はないと思っていたんですね。顔が曇ったのは、元カレの酷さにムカついていたから。

夫は全くタイプじゃないし、第一海外にいる人だし、向こうもこっちは眼中になさそうだしってことで安心してました。

その夜に「明日空港に送りに来てよ」

私 (なんで貴重な休みに空港へ行かなきゃならない!?仕事か?なら交通費くれ!)

だいぶしつこく言われましたが、本当に嫌だったので断り行きませんでした。

すると次の日の朝に、空港へ向かう列車の中から電話がありました。少し話した後

夫「す…き…なんだよね…(電波悪)」

私 (おいおい、言うなよ。仕事やりにくくなるじゃん!電話悪かったし聞こえなかったフリ)

夫「聞こえなかった?」

私「あ、はい(言うな)」

夫「好きになったかもしれない」

私 (言ってしまった。)「え…??…(なんと言えば)いや、ネガティブな二人じゃ合わないですよ。二人で落ちて行く」

夫「俺もそう思う」

私「私、もう遠距離は無理ですよ。」

夫「俺も…」

私 (な、なんだよそれw)

その後、何を話したか、、、はっきりさせないまま電話は切りました。

その日から、怒涛の国際電話が始まります。

まだLINEがなく、夫は家にネット回線を引いていなかったため、中国の電話料金とはいえ、夫は月10万円の国際電話になっていました。毎日夜に、朝方3時4時まで電話していました。しかも、面白くて面白くて、私はずっと大笑い。元々仲が良かったので、楽しい楽しい。目の前に兄の部屋があるので「うるせぇんだよ!!」と言われていました。

夫は特に返事はしなくて良いと言うことで、とりあえず毎日楽しい話をしてくれました。

元彼とも大学卒業後は遠距離だったのですが、毎日元彼と夫と話す感じ。でも、もう完全に気持ちは夫に言っていたので、元彼にも好きな人ができたと話しました。

往生際の悪い元彼は、結婚する!と騒ぎ出し、誕生日に奇跡の薔薇と言われる青い薔薇を歳の数だけ送ってきたり、急に焦り出す。でも、元彼に酷い事をされていた私はもう気持ちはすっかりなくなっていました。

夫は、かなり大人で私と元彼が長く付き合ってきたのも理解し、きちんと彼との関係を自分なりに清算できるまで十分にやりとりして良いと、心配しながらも見守っていてくれました。それから約半年近くかけて、私は元彼の不安?みたいな物を拭いながらゆっくり別れることができました。

長く付き合っていたし、私が他の人に行くなんて思わなかったのか「結婚しとけばよかった。最大の失敗だ。」とか相当色々言われながら大変でした。酷いですよね。

でも、あの時私も「彼からは離れられないんだ。もう多分結婚するんだ。」と思い込んでいたことが恐ろしい。だから、ある意味良いとはいえない関係のカップルの状況もわかるんですよ。だけど、のほほんと恋愛していただけならわからないこともわかるから、私はこれを無駄にはしない。心が苦しい人の気持ちがわかるから。

中国へ行く決心

私は、高校生で香港が好きになってから、独学で広東語を勉強しようと思いました。ところが、あまり学問として学べる環境がなかったため、広東語のために普通話を勉強し始めました。普通話は学びやすかったので、そのままコツコツと座学で勉強をしていました。大陸には興味がなかったため「大陸に行ったことの無い中国学習者」って面白いじゃん、とそれを貫きながら勉強していました。笑

夫と出会った商社で活かすことができましたが、私の中には捨てられない夢「香港」がずっとありました。夫と付き合うことができて、香港の隣の深センいて、いつでも香港に行ける環境。そして私は多少中国語ができる。なら、今が挑戦するタイミングだ!と思いました。後々中国へという話は出ていましたが、まだ結婚した訳では無い「恋人」の状態で夫を頼って中国に行くのは怖かったんですね。依存しそうで。

だから、あえて就職活動をし、自分の仕事と家がある状態で中国へ行きました。

偉く無い!?これ!夫が呼び寄せた割にはとても独立した女でしょ笑

それからの色んな部分は端折りますが、そんな感じで今があります。

その途中でも、すごい辛いこととか大騒ぎした大変なことがあったんですよ。でも、中国で3年間耐えて、結婚してすぐに香港へ移住しました。

夫は中国に合っているタイプなので「香港に住みたい」と散々アピールをして、夢を叶えてくれました。

意外にも合う二人

「ネガティブな二人じゃ無理ですよ」って言いましたが、全くなかったですね。ネガティブに二人で陥ったことが、まずないです。むしろ、二人ともポジティブの塊なのではないか爆。今まで付き合ってきた人の方が、自分に合っていると思って付き合っていたのにうまくいかなかった。夫は、自分のタイプでもないし、共通点なんかないのに?ものすごく波長が合うんですね。夫と仲良くしようとも、元彼との7年を越えるまでどうなるんだ?と思う部分が1mmくらいありましたが、その7年を越えても尊重し合えていることは凄いと思います。

夫ともっと若い頃から出会ったとしても、もしかしたら傷つけてしまうかもしれなかったし、色々経験した前の恋愛はそれはそれで大変重要な修行だったように思います。

 

付き合うきっかけ、というのはこんな感じでした。

ってな感じで、私はずっと香港に来ることを夢見て生きてきたので、それが叶ってよかったということ。あとは、中国生活は大変だったけど、もし就職にチャレンジせず3年も生活しなかったら、10年座学でやって来た中国語に命を吹き込むことはなかったでしょう。

 

マリー 

monmishe.hatenablog.com