私が中国で見たもの。現実。それは・・・
誰の否定でもないということ
注意※として、わたしが何を書いても、国の体制を批判したりすることでは無いとあらかじめ書いておきます。
ただ、自分が日本人として日本で生きてきたその常識と、社会に出た後に見た中国へ感じたギャップ、驚き、感じたことを書くだけです。
それぞれその場で人は家族や友達がいて生きているので、その人にとってそこが一番居心地がいいのです。
日本は、農薬のことだったり政治のことだったりで中国に対して良いイメージを持っている人は実際少ないと思います。
ただ、それに関してもわたしが日本で漠然と感じていたマイナスなこと、そして現場で見たそれにはギャップがありました。
日本人は実際に見たり肌で感じたわけでもないのに、悪い部分しか知らない、語らない、それも事実ではないでしょうか。
一体中国で何を見たの?
わたしがいた会社にいた中国人たちがどういう立場の人たちかというのをまず記したいと思います。
中国人には富裕層だの色々なイメージがあると思いますが、それで話は変わってきますからね。
わたしがいた会社は大きな工場で普段わたしたちが使っている機械の部品を作っているところでした。
部品を作る工員は、農村部から来たとても若い女の子たちがほとんど。
みんな若干二十歳そこらです。
そして、驚いたのが多くの人が既にお母さんなのです。
農村に子供を残し、出稼ぎに来ているのです。
中国には農村戸籍と都市戸籍があり、農村戸籍の彼女たちの子供は都市の学校には通えません。
あとは預けて働く場所も無いので、子供はジジババが見るのが当たり前なのです。
そして、一年に一度、旧正月のみ子供に会えるのです。
本当に中国語の教科書にあったよな、テレビで見たようなそれを目の当たりにしました。
実際育ててないからか、彼女たちはまだまだ子供にしか見えないんです。
日本なら、今ごろ親の仕送りなりあって大学に通いながらカフェでバイトして、お洒落して恋愛してカラオケ行って、、、
みたいな生活の年頃の子たちが、
水色の作業着を着て、朝から晩まで部品を作り、テレビも無い6畳ほどのコンクリートの部屋に無機質に置かれた二段ベッドで8人同じ部屋で寝ている。
夜勤もあって、残業してちまちまお金を稼いでもせいぜい日本円にして4万程度。
それを毎月ほとんど仕送りをしている。
可哀想と言えば失礼だし、悲しいというのも違うし、
ただただ、衝撃を受けたんです。
こんな世界があるんだと。
いままでの人生を振り返ったり、なんだかこの頃は心がついていかなかったですねー。
食べるアイスの値段で妬まれる
食堂があったのですが、これも衝撃でした。
わたしが痩せてしまった理由もそこにある。
ステンレスのお子さまランチのようなお皿を各自持って、食堂に並びます。
そうすると、三つあるくぼみに、ドン!ドン!とお玉いっぱいに乱暴に食べ物を乗せられます。
一日目からもう心折れる・・・。
全てが大量。
もちろんみんな全部食べるわけもなく、食べ終わった人は大きなゴミ箱に捨てるんです。
鳥の足の煮込みがおかずの日はもう泣きそう。
ある日見てしまったのは、スプーンが無くて要求しました。
すると、食べ終わったスプーンを入れるかごをとり、泡立った液体が入った大きなシンクにかごごと浸けてユサユサユサ、次に湯気がたった液体にかごごと浸けてユサユサユサ、そして三つ目の液体のシンクにユサユサユサ、、、、
そしてかごを、はいっ!と。
え、、、、?
わたしは二度とその食堂では食べず、有料の食堂を使うことにしました。
わたしの心はどんどん荒んでいきます。
耐えられない程に。
それで、食べ終わったら売店でアイスを買うのが日本人の中で日課になっていたんです。
そのアイスがなかなかおいしかったんです。
パルムのような。
ローカルも奇妙なアイスを食べていたのですが、
わたしは何も考えず、ただそのアイスを毎日食べていました。
ただ、そのアイスは少し高級だったんですね。
ハーゲンダッツほどはないものの、ローカルが食べているアイスより数元高いアイスを、毎日食べる日本人に
「日本人は○元のアイスを毎日食べてる」って言われるんです。
はぁ( ´Д`)
この辺になると、かなり疲れてきます。
同じ枠で語られることにも違和感
中国に行って思ったこと。
それは、、、
本当に日本を知らない。
だから、そのカルチャーショックを受けているわたしを露知らず、
なんでも同じ枠で語られてしまうんです。
ある意味、だから異質とも捉えられていなくて、
同じように生活してきたと思われていました。
良くも働いたこともあるけれど、イライラも多かった。
だから、質問とか会話が噛み合わないんです。
そしてもうひとつ、思ったこと。
こんな日本て嫌われているんだ。。。
嫌われている国にいるのは本当にキツいですよ。
会社では女の子たちにとても好かれていたので、ほんとうに人懐こく、良くしてもらいました。
だけど、外に出るとたくさん嫌なことがありました。
あからさまに歴史や政治を批判されたり。
そんな日は、悲しいし辛いし、どうしたらいいかわかりませんでした。
日本語の優しさに号泣
わたしが色々洗礼を受けている間、
数日が経ち、ある時仕事終わりに日本食屋に一人で行き、iPodを聞いてみたんです。
いきものがかりがでてきました。
「ひょっとしたらーみんなひーとりぼっちで
歩いているんじゃないかな
しょいこんだ寂しさを打ち明けるわけもなく
またいくつもの背中が遠くなる
~~~~略~~~~
愛想笑いだけは上手くなってさ
大人にはなれたけど
僕が描いてたのは
そんなものじゃない
誰かが差し伸べてくれてる
その手を握る勇気が僕にあるかな
ささいな何でも無い距離が
ちっぽけなこの心をいつも試してる
涙のかずだけ
笑顔があるんだ
そう わかってるはずなのに
君の前では
なぜか強がるよ
まだ素直にはなれなくて
~~~~略~~~~
失敗も裏切りも嫌なニュースも
ごちゃまぜに胸ふさいで
見えないふりしたってさ
そりゃ生きていけるけど
でも僕はまだ逃げたくはないんだ
~~~~略~~~~
どしゃぶり
崩れていく雨が
また誰かの声をかき消していくよ
そこには困った顔をして
僕と同じ寂しさを抱いた君がいる正しい“答え”なんて
わかるわけないけど
そう あきらめたくはないんだ
~~~~略~~~~
“迷い”や“不安”でさえ僕らの“いちぶ”なんだよ
ひとつ ひとつの涙を ちゃんと覚えておこう
」
なんというか、久しぶりに聞いた日本語?
日本語ってなんて優しいの!!!
もう、、、
一人で大号泣。
胸に手を当てながら、何度も
「うんうん、この涙、忘れない」
って思いました。
とにかく、やばい!と思い、
それでなくても中国に娘をやっている両親に心配はかけられない、
今弱音を吐いたらキリがなくなってしまう!
と一人で耐えました。
彼である現夫にも頼りませんでした。
海外に来ること、長い長い夢だったでしょ!?
やっとここまで来たんだから。
向き合え、逃げるな、、、
必死だったなぁ~~~~~~~