娘の人種の認識と言語習得について
娘の人種の認識
新年に黒人の先生を避けなくなって一安心+油断できない気持ちでしたが、今日も避けなかったし、もう大丈夫かな!
ハロウィンっていう怖くなってしまったきっかけもあったけれど、肌の色を意識し始めた娘が黒人の先生だけ避けるもんだから、私も内心とても引っかかっていた。嫌だった。黒人の子が多いから、余計に娘がこれからどうなるか心配で。
インド、パキスタン系のお友達は平気なのに、アフリカ系をまじまじと見たりするんですよね。
ゆっくり動向を見守る
今回の対応としては、無理矢理でも先生を怖がることを解消させなくてよかった!と結果思う。
もしかしたら、娘が本当に嫌がったり怖がっているかもしれない。それを私が強制的にどうにかしようとするのも違う気がしたんですよね。見守る姿勢を貫いた。
私も幼稚園の記憶ってすごいあるから、まだ娘がうまく心の中を言葉にできないだけで、将来「あの時、本当に本当に怖かったんだよ!」て言ったら可哀想だと思ったんですよね。
私が人種を意識しすぎか?
差別では無いが区別が付いてきた
でも子供って、ストレートにその状況を捉えるんですよ。差別では無いが、区別をつけている。少数派を認識している。だから、親としてサポートする為には、娘の気づきをちゃんと知っておきたい。心に留めておきたい。
綺麗事や理想論ではまとめられないことがこれからも起きそうですね。
香港は幸いにも、一つの言語に特化して話されている場所ではないので、家族で他の人が理解できない日本語を話すことが嫌だとか、変だとかは思っていないようです。
自然に言語は習得できない
ハーフの友人に、小さい頃、親が違う国の言葉を友達の前で話すことがとても恥ずかしかったと聞いたことがあるので、どうなるかなと思っていました。
その子は親に国の言葉を話さないでくれとお願いし、お母様も気分を害してしまい二度と子育ての中で国の言葉を話さなくなったとか。それで、ハーフであれば自然と身につきそうな二つの言語を習得できなかったそうです。それを少し勿体無かったと後悔することもあるそうです。
よく母がジュディ・ウ ォングの話をしてくれました。ジュディ・ウォングが日本語も中国語も堪能なのは、お母さんが中国語で話さないと返事もしてくれなかったからなんだって、と。親もそういうことをしないとハーフであろうが、他国にいようが言語って習得できないんですよね。
昔、横浜の中華街に行った時に興味深い光景を見ました。商店にランドセルを背負った男の子が「コーラ飲みて〜〜」と帰ってきました。商店の子か〜と見ていると、大人が「中国語でも言いなさい」と言っていました。恐らく、近くからして横浜の中華学校の生徒かと思いますが、日本にいるといくら親が中国語を話そうともメインが日本語になっていくんですよね。
環境のせいにしない
色々なパターンを見てきて思うのは、環境の恩恵は受けられても、環境の犠牲にはならないんだなと知りました。理由をつけるとしたら、それは言い訳にしかならない。本当に!言語を習得できないのは、言い訳!
子供だったら、親の導きしかない。導きは、自分の子供への理想を明確にもつことと、子供の適性を見極める、そして柔軟に対応する、それしかないと思います。
ブログを読んでくださる方は、恐らく「なんとなく育ったらいいや」と考えてはいない方々かと思います。こうなったらいいなって理想があると思います。
理想は、目安を作ってあげるという意味で、それが明確にないとフォローがブレブレになって、子供も一体何をしているかわからなくなると思うんですよね。
私も、下の子もいますし、正直あ〜ちゃんとしなきゃな〜やばいな〜と思いながら時間が過ぎていってしまう日々です。
状況把握の時間を1時間でももつ
でも、1ヶ月に一度でも子供の状況に向き合って、今どんな状況なのか、何が足りないのか、何が必要かと思い直せれば、あ〜いつの間にか幼稚園終わった〜みたいにはならないと思います。
子供は自然に育つって、絶対無い!と思っています。
そりゃ食べていれば育ちますよ。笑って暮らしていれば明るい子になりますよ。でも、私も然り、もっともっと私の適性を見て親にフォローしてもらいたかったなーと。両親共働きで、母は夜勤があるような仕事でした。だからこそ教育にお金をかけてもらえたけれど、私はもっと自分の勉強の状況とか、細かいフォローとか、実践的に歴史の場所に連れて行ってもらうとか、そういうことをしてもらいたかったなーと。
自分ができなかったこと、してもらえなかったことを子供にするって本当ですね〜。
でも、そういう意味で、子育てって楽しいと思います。
自分に余裕がある時に限る、ですけどね〜。苦笑
マリー